2月30日

役立つかもしれない情報をノートとして残しておく。

普段の通勤路で凍死しかけた話(フランス)

(・・・もう十分時間経ったし、いいよね?いいよね?というわけで再掲。。。)

 

私は現在、研究のためフランスに居住しています。仕事場である研究所から8 kmほど離れた村にあるアパートに住んでいるため、普段は車で通勤しています。

ところが、その車のエンジン警告灯が点灯してしまいました。走れないことはないんですが、確かにここ数日エンジンが非常にかかりにくく、セルモーターを1分近く回し続けてようやくかかるということも頻発していたので、メーカー代理店で診てもらうため1週間後に予約を入れました。

さて、しばらくは車が使えないわけですが、研究所へ通勤はしなければなりません。幸い、アパートから歩いて10分ぐらいところにバス停があり、研究所前まで路線が通じているので、車がないと通勤できなくなるというわけではありません。しかしこのバス、運賃がとてつもなく高くて、往復で8ユーロもします。1週間のバス通勤で40ユーロかかることになり、中々痛い出費です。通勤だけでなく、土日の買い出しなどもバスを使わないと行けませんし、車が直るのかもわかりません(現住所にいるのはあと数か月程度なので、あまりに修理費が高ければ廃車にした方が賢明です)。

・・・という話を日本人の知人にしていたところ、「自転車持ってるけど使う?」という話になりました。自転車があれば
・タダで通勤できる
・通勤以外でも、バスに頼らずに行動範囲を広げられる
おっ、これは!?自転車は研究所に置いてあるということだったので、その日の夜の帰宅時に使ってみることにしました。安物の自転車で、カゴが小さいので、PCやタブレットなどが入ったリュック(合計3 kgぐらい?)は背負っていく必要がありそうです。その知人は小柄だったためサドルがだいぶ低いのですが、高さを変えるには六角レンチが必要なようです。今持ってないですし、とりあえず今はまぁ良いでしょう。気温は氷点下ですが、普段着ているコートは厚手で保温性が良いので、これも大丈夫と判断しました。実際、当日の恰好で時々隣街まで2 kmほど歩くことがありますが、特に危険を感じたことはありません。帰り道は普段の通勤路なので、よく知っています(あとで書きますが、これが大きな油断でした。自動車で走るのと自転車で走るのは、まったく条件が違うわけで・・・)。というわけで、22:00頃に出発しました。

最初の試練は、研究所を出てすぐのゆるく長い上り坂でした。サドルの高さが合っていない上に、最近自転車に全然乗っていないですし、そもそも運動不足で体力が落ちているせいか、漕いでも漕いでも前進しません。途中で力尽きたので残りは押しました(この時、まだ先は長いのに力尽きるまで頑張ってしまったのも命とりだった)。でも、この坂を上り切ればあとは下り坂だし、その先は比較的平坦だから問題ないはず・・・と、その時は思っていました。

その後、坂を下ってラウンドアバウトを過ぎると、高速道路沿いにある自転車用の細い道に入ります。普段は高速道路側を自動車で走っていますが、今日は自転車です。街灯がないのに高速道路を走る車がハイビームで、中々前が見えない。。。で、しばらく走っていて気づいたことがありました。このあたり、いかにも中央ヨーロッパらしいなだらかな丘が続く丘陵地帯です。高速道路は比較的平坦に造られていますが、今走っている脇道はそんな甘い造りになっておらず、いちいち丘を上ったり下りたりするんですよね。そんな感じで、10 m以上あるアップダウンが3回はありました。そのたびに、最初の上り坂であったように「漕いでも漕いでも前進しない」状態になり、呼吸が荒くなります。外気は氷点下で、だんだん肺が痛くなってきました。さらに、上半身は防寒耐性万全でしたが、悪いことに下はジーンズ1枚だったので、寒さと疲労で徐々に足が攣り始めました。

なんとか、普段利用する高速道路のインターチェンジ付近までたどり着き、ここからは住んでいる街まで郊外の田園地帯の一本道です。ここも街灯がなく、車が100 km/h近くで飛ばしていくすぐ脇を走る必要があります。近くに民家などもありません。家まであと3 kmほどのこのあたりまで来ると、いよいよ自転車を漕げば足を攣るような状態になり、仕方がないので回復するまでしばらく自転車を押しながら歩いていくことにしました。・・・しかし、この寒さでは回復するどころか、疲労感は増す一方。しかし、周囲には逃げ場もありません。このあたりから、早く帰らないとまずいと少し焦り始め、無理やり自転車に乗っては50 mほど走って足の痙攣が限界にきて自転車を降りるということを繰り返し始めました。そんな調子で1 kmほどは前進しましたが、ついには自転車を押しながら歩くだけで足が攣るようになってきていました。

この時点で、まだ家まで2 kmほどあります。あと1 km前進すれば民家がや街灯がある場所までたどり着くので少し安心感がありそうですが、かといってコンビニなどがあるわけでもなく、この時間では開いている店もないので、温まれる場所もありません。さらに、アパートにたどり着くまでにあと2回ほど、10~20 mほど登らなければならない場所があります。このままだと途中で歩くことすらできなくなり、氷点下の中立ち往生するかもしれないという不安が・・・。ちなみに、この時点でいた場所は

f:id:sachiko-0230:20200226082211p:plain

ここ。昼は景色がきれいな場所ですが、見ての通り民家も街灯もなく、夜は絶望的な暗さになります。

道端でいったん休憩しようかと思い立ち止まりましたが、氷点下の気温の中で座ってみても、余計に体力を奪われているような感じしかありません。これは本当にやばい状況だと悟りました。ここで焦りが徐々に強くなり、とりあえず友人に電話をして助けを求めようと思いましたが、うまく電話番号を打てません。そもそも、電話しても彼につながる保証はありませんし、彼につながって来てくれることになったとしても、到着するまで20分とか30分、逃げ場のないこの場所で待ち続けなければなりません。救急車を呼ぶ?とも一瞬思いましたが、そういえばフランスでの救急車の呼び方を知りませんでした。これは本当にまずい・・・ということを悟った瞬間に強烈な焦燥感に襲われ、ある種のパニック状態に陥りました。一方で、あぁこれが「遭難」なんだなとか、この前軽装で撮影しながら富士登山して滑落したYouTuberは明らかに自分から危険な方向に向かっていたけど、その時こういう心理状態だったんだろうなーとか、冷静に考えている自分もいました。。。

で、そんな中で「とにかく次に来た車を全力で止めよう」という決意をしました。時間も遅いので交通量は少なく、5分に一台ぐらいしか来ません。しかもこのあたりは、先ほども言ったようにみんなかなり飛ばします。街灯もないので対向車から見えているのかもよくわかりませんが(反射材が付いたベストはちゃんと着ていました。これは重要だった・・・)、もう轢かれたら轢かれたで構わない!という覚悟で、次に来た車に全力で手を振りながら目の前に出ていきました。・・・その車が止まってくれたときの安心感。。。*1

この時止まってくれた若いカップルはとても親切で、明らかにやばそうな状態の私を見てすぐにアパートまで送ってくれることを了承してくれて(アパートは彼らが向かっているのと反対方向だったにも関わらず)、後部座席を倒して無理やり自転車を載せてくれました。車の中の温かさといったら・・・!心残りは、アパートについたときは手足がしびれて意識がもうろうとしていたため、mercy, mercy, ...とつぶやくのが精一杯でした。なんとか玄関のドアを開けて2階まで階段を上り、部屋に入ったらベッドに倒れこみました。生還できた・・・。 

しかし、時間が22:00ごろだったのはまだよかったです。普段、私は日が変わるまで仕事をすることがよくあります。その時間帯になると、現場付近の交通量はさらに減ります。気温ももっと低いです。本当に、助けを求めることもできずに命にかかわることになったかもしれません。気を付けたつもりだったにこうなったのは、予想以上に運動不足で体力が落ちていたということもありますが、何よりアパートまでの道のりを過小評価していたことが大きかったです。自転車とは言え普段車で走っていてよく知っている道なので大丈夫だろうと思っていたのですが、自動車と自転車は全く違いました。やっぱり、自動車って力があるんですね。車だと平坦だと思ってしまうような上り坂がかなりキツく、自転車だとものすごく体力を奪われました。あとで調べてみると、通勤路の最大標高差は100 m近く(実は、距離も6 kmほどだと思っていましたが実際には8 kmほどもありました)。これを氷点下の中ママチャリで行くのは自殺行為で、しっかりしたロードバイクのような自転車が必要です(たしかに、このあたりに住んでいる人はほぼ例外なくその手のしっかりした自転車に乗っています)。よく知っている道でも、車で走るのと自転車で走るのではまったく違いますし、日本で自転車に乗る感覚でフランスの郊外で自転車に乗るのは、大変危険で油断してはいけないのだなぁと学んだのでした。あと、緊急時に救急車の呼び方がわからないというのも、ちょっと能天気過ぎました。112、覚えた。

とにかく、無事に帰れて良かったです(翌日も、疲労感が残った程度で体調には問題ありませんでした)。冷静に考えて、40ユーロをケチらなければならないほどお金に困っているわけでもなく、なんで40ユーロがもったいないと思ったかと言えば、ただただ自分の貧乏性が原因です。でも、40ユーロのために死んだり、死ぬとこまで行かなくても深刻な事態になってしまったらもうあまたが悪いとしか言いようがありません。というわけで、100ユーロでバスの定期券を買いました。これでもう無敵です。

*1:フランス人、平均的にフランス語話さない人に冷たい印象がありますが、一方で本当に困った時の親切さは日本以上という印象もあります。以前にも、ラウンドアバウトの入り口でエンストした挙句バッテリートラブルでエンジンを始動できなくなったとき、若い2人組が近くの坂まで押し、坂で車を転がしながら押掛けでエンジンを始動してくれたということがありました。

フランスで車を「紛失」した話

私は現在、フランスに住んでいます。なぜかというとスイスの研究所で働くため。雇われているのはドイツですが・・・色々複雑ですね。まぁ、ともかく住んでいる国はフランスです。フランスで住んでいるのは、職場から8 kmほど離れた「村」なので、車がないとかなり不便です。右ハンドルのMT車、最初はおっかなびっくりだったし交差点でエンストしてクラクションを鳴らされるなんてよくありましたが、2年近く乗っていたらだいぶ慣れました。

 

さて、いま乗っているこの車は2006年製のプジョー207で、中古で2000ユーロで買ったんですがまぁ値段相応という感じでガタが来ています。そして11月も終わりのとある日の夜、隣町のケバブ屋で夕飯した後、駐車場から出ようとしたら、エンジンがかからない。。。セルモーターは回るけれど、モニターに"ANTI THEFT FAULT"という出る状態で、どうも盗難防止装置が解除できなくなったようです。

どうしようもないので、保険会社に依頼してレッカー移動してもらうことにします。電話受付のオペレーターは一応英語をしゃべってくれるのですが、、、しばらくして、レッカーの運転手から電話がかかってきました。

ぼく:"Hello?"
運転手:"◎$♪×△¥○&?#◎$♪×△¥○&?#$◎$♪×△¥○&?#$, d'accord?"(フランス語で何言ってるかわからない)
ぼく:"Pardon, est anglais ok?"
運転手:"Non! ◎$♪×△¥○&?#◎$♪×△¥○&?#$◎$♪×△¥○&?#$, d'accord?"
ぼく:(これどうしようもないじゃん)"...d'accord..."
運転手:"C'est bon!"

切られた。。。結局指示がわからなかったので、エンジンもかからない寒い車内で、いつ来るかもわからないレッカーを待つハメに。。。結局1時間半ぐらい待って、ようやくレッカーが来ました。フランス語しか話せない運転手とGoogle Translateでコミュニケーションをとりながら*1車を一通り見てもらい、結局その場では直らないとのことだったので移動してもらうことに。その運転手が10 kmほど離れた整備工場(シトロエン)を指定してきたので、そこに運んでもらうことにしました。翌日、指定された整備工場に連絡を入れて、これで修理もしてもらえるー何とかなったかぁ~。・・・と安心した私は、まだフランスの恐ろしさを理解していなかったのだった。

 

翌日、整備工場から電話があり、

「うちはシトロエンだからプジョー車は対応できない。プジョーに頼んでくれ。」

と。・・・は?だったら昨日の時点でそう言えよ。仕方ないので、もう一度保険会社に電話して、シトロエンから近いプジョー代理店に車を移動してもらうように依頼しました。保険会社も、一応英語で対応はしてくれるんですが、英語対応できるオペレーターに回されるまで5~10分ぐらいかかるので、あんまり電話したくないんですよね。。。プジョー代理店側からも、今の時期混んでるから2~3週間ぐらいかかるけど、と言われつつも了承をもらい、一件落着。その後、プジョー代理店から連絡が一切なかったのが少しだけ気になりましたが、まぁその2~3週間の間放置されるなんてフランスではありがち。シトロエンの整備工場とプジョー代理店、ともに住んでいる場所から10 kmほど離れていて、バスや交通機関も直接通じていないので、自分で確認に行くこともできないですし、電話するとまた面倒なので、とりあえず待つことに決めました。その後、年末のため僕はイスラエル経由(ただの観光です)で日本に戻りましたが、なお一向に連絡がありません。こちらから電話をすると国際電話になって高くつくので、プジョー代理店には何度かメールを入れてみましたが、すべて無視されてしまいました。。。*2

 

1月に入り、冬休みが終わって台北経由(これも観光です)でヨーロッパに戻りました。この時点で車に関してだいぶ不安になっていたので、到着してすぐにプジョー代理店に電話しました。

「うちには今はプジョー207の修理依頼は来てない。」

・・・は?なんで??じゃあ、僕の車はどこに???面倒ですが、保険会社に電話して状況を聞くしか、今のところ車の所在地を知る術はありません。で、保険会社に聞いたところ

シトロエンの整備工場に聞いたら『クライアントが修理依頼してきたからもう修理してる』と言われたので、移動してない。状況は整備工場に聞いてくれ。」

と。
・まず、修理依頼出してないし。
・そもそもシトロエン側からうちじゃ診れないって言ってきたじゃん。
・そして保険会社はこちらの依頼を完了してないのになぜ連絡してこない?
どこから突っ込めばいいかわからなくて、一瞬固まってしまいました。

とにかく、車はシトロエンの整備工場にありそうですので、今度は整備工場に電話します。*3そしたら

「うちにはプジョー207は今入ってない。」

・・・は???じゃあ車はどこに行った???まさか、車を「紛失」する事態になるとは夢にも思いませんでした。恐るべき国、フランス。

 

また保険会社に電話。この時に対応してくれたオペレーターがとても親切で、神でした。そのマダムがシトロエンの整備工場に細かく状況を聞いて情報を整理してくれた結果
・車はいまシトロエンの整備工場に確かにある
・整備工場側は、何度もクライアントに電話してvoice messageを入れたと言っている
・とにかく、修理するならサインが必要なのですぐに来てほしいと言っている
うーん、voice messageなんて一度も入ってなかったけど・・・とにかく、車の所在が分かったので、知り合いに急遽お願いして車を出してもらい、整備工場に向かいました。

 

結局、整備工場に車はありました。鍵が壊れて、それに連動した盗難防止装置が解除できなくなった、予備キーを使うか、なければ新しく鍵を作れば問題ない、と。普通は予備キーがあるらしいのですが、大分古く何人ものオーナーを渡り歩いてきた僕の車、予備キーがありませんでした。よって、鍵の交換(200ユーロ)となりました。これの依頼書にサインするときに気づいた・・・そこには、まったく知らない固定電話の番号が書いてありました。つまり、彼らは僕に電話しているつもりで、まったく知らない人に何度もvoice messageを残していたようです。なんでそうなるのか、本当に意味が分かりません。で、数日後に「鍵が届いた」と連絡があり、1月も中旬になってようやく車が戻ってきました。なんで、鍵の交換で済む話に1ヶ月半以上もかかったのか。とにかく、大変疲れた経験でした。

 

フランスに住んでいるのにフランス語を使えないというのは明らかに僕の落ち度で、そのせいで多少余分な労力を要するのは仕方ないと思います。また、僕は基本的に郷に入りては郷に従えだと思っていて、ある国に行ったらその国の文化を尊重します。しかし、ここまで何も確認せず、脊髄反射で間違ったことを無責任に平気で言うのは本当に理解できません。とにかく、車が直ってよかった・・・*4

 

*1:文明の利器、万歳!

*2:これはフランスではありがち。電話社会のようで、ウェブサイトにメールアドレスや連絡フォームがあっても、ちゃんと変身が来る確率は50%未満です。

*3:ちなみにこの時、1回目の電話は英語でしゃべろうとして断られました。なんとなく、フランス語でしか対応してないからフランス語を喋れる友達に頼んでくれ、みたいなことをいっていましたが、その時フランス語を喋れる知り合いが近くに誰もいませんでした。5分ぐらい考えて、やっぱりどうしようもなかったのでもう一度電話をかけたら、こんどは別の人が出て普通に英語で対応してくれました。殺意が湧きました。

*4:ちなみに、この3週間後にエンジンが不調となり、プジョー代理店にもっていったところ車検を通せるようにするには3000ユーロかかると言われ、即日廃車となったのでした・・・鍵の交換で支払った200ユーロは何だったのか。

ドイツの大学の名称

ドイツの、特に伝統のある大学の名称には、歴史上の偉人の名前が冠されていることがよくあります。気になったので、主要な大学に関されている人物とその歴史を簡単に調べてみました。

ちなみに、ドイツの名門大学はとても歴史があります。こちらの人に聞いたところでは、中央ヨーロッパの大学の起源はローマにあり、神聖ローマ帝国時代にアルプスの北でも大学の要請が強まったため1348年にカレル大学がプラハに設置され、そこから大学システムが広まったそうです。1348年といえば室町時代南北朝時代…歴史ありますね。

 

Ludwig-Maximilian-Universität München
創立:1472年にルードヴィッヒ9世(1417年2月23日-1479年1月18日)により、ドイツ6番目の大学として創立。1800年にフランスから逃れるためにマキシミリアン1世(1756年5月27日-1825年10月13日)によってランツフートに、その後ルードヴィッヒ1世(1786年8月25日 - 1868年2月29日)によってミュンヘンに移設された。
名称:1802年にマキシミリアン1世により、彼の名前と創設者であるルードヴィッヒ9世の名にちなんで命名された。
創立の頃の日本史:応仁の乱(1467年)による戦国時代の始まり。
THEランキング2019:32位

 

Ruprecht-Karls-Universität Heiderberg
創立:1386年(ドイツ最古)にルプレヒト1世によって創立。フランス革命(1789年)の影響で多くの資産を失ったが、1803年にバーデン大公カール・フリードリッヒ(1728年11月22日-1811年6月10日)が州立大学として再建した。
名称:創始者のルプレヒト1世と、大学を復活させたカール・フリードリッヒにちなむ。
創立の頃の日本史:南北朝の統一(1392年)
THEランキング2019:47位

 

Humboldt-Universität zu Berlin
創立:プロセインの政治家ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767年6月22日 - 1835年4月8日)によって1809年に創立。
名称:創始者の名前にちなみ、1949年に命名された。
創立の頃の日本史:江戸時代後期。ゴローニン事件など。
THEランキング2019:67位

 

Albert-Ludwigs-Universität Freiburg
創立:ハプスブルク家オーストリア公アルブレヒト6世(1418年12月12日 - 1463年12月2日)により、ドイツ5番目の大学として1457年に創立。1805年にフライブルクがバーデン大公国に領有された際、一国で2つの大学(ハイデルベルク大学フライブルク大学)を運営するのは不可能であるとされ、閉鎖の危機に遭った。しかし、幸いにもフライブルク大学には十分な寄付収入があり、運営を継続することができた。1820年、バーデン大公ルードヴィッヒ1世(1763年2月9日-1830年3月30日)が大学に運営経費を割り当てることにし、閉鎖の危機を逃れることができた。
名称:創立者のアルブレヒト6世と、大学運営を守ったルードヴィッヒ1世にちなみ、1820年命名された。
創立の頃の日本史:室町時代再末期。
THEランキング2019:76位

 

Georg-August-Universität Göttingen
創立:イギリス王ジョージ2世(1683年11月9日-1760年10月25日)により1737年に創立。
名称:創始者であるジョージ2世(ドイツ語読みでゲオルグ2世アウグスト)にちなむ。
創立の頃の日本史:江戸時代中期。享保の改革など。
THEランキング2019:123位

 

Martin-Luther-Universität Halle-Wittenberg
創立:ザクセンの選帝侯フリードリッヒ3世(1463年1月17日 - 1525年5月5日)によってヴィッテンベルク大学が1502年に創立、さらにブランデンブルクの選帝侯で後の初代プロセイン王であるフリードリッヒ3世(1657年7月11日 - 1713年2月25日)によって1694年にハレ大学が創立された。2つの大学は1817年に合併されて現在の形態になった。宗教改革の際には、マーティン・ルター(1483年11月10日-1546年2月18日)の影響で大学が改革の中心となった。
名称:大学に大きな影響を与えたマーティン・ルターにちなむ。
創立の頃の日本史:戦国時代中期。東海道津波など。
THEランキング2019:-

 

(気が向いたら追加します。)

博士課程院生の財政事情

学振DC1に採択された博士学生の財政事情を、それなりに厳密に計算してみました。

~おことわり~

  • 一人暮らし・独立生計の「東京都文京区に住む東大生」「愛知県昭和区に住む名大生」「大阪府豊中市に住む阪大生」をモデルケースとしました。選んだ理由はただの思い付きです。
  • 計算ミスや見落としはあるかもしれませんので、あくまで目安として受け取っておいてください。この数値を鵜呑みにして確定申告して追徴課税を請求されても知りません。
  • 給与の支払いは年度単位で確定申告などの決算は1月~12月とか若干ずれていますが、その辺は適当に誤魔化しています。

お金の計算計算・・・

計算方法は下に具体的に書きましたが、結果を先にお見せします。

文京区の東大生 名古屋市の名大生 豊中市の阪大生
給与 ¥2,400,000 ¥2,400,000 ¥2,400,000
国民年金保険料 ¥194,680 ¥194,680 ¥194,680
国民健康保険 ¥114,042 ¥122,287 ¥131,413
所得税 ¥85,564 ¥85,152 ¥84,695
住民税 ¥88,628 ¥85,544 ¥87,191
授業料 ¥267,900 ¥267,900 ¥267,900
残高(月額) ¥137,432 ¥137,036 ¥136,177
家賃(月額) ¥93,700 ¥52,500 ¥51,400
家賃差引後残高(月額) ¥43,732 ¥84,536 ¥84,777

授業料に関して、現在は恐らく多くのケースで学振研究員採用者の授業料は半額免除になっていると思われるので、半額免除を想定しています。

ただし、最近院生にとっては少し不安なニュースが出てきました。「高等教育の就学支援新制度」の文部科学省によるQ & Aによると[1]

Q67 大学院生は新制度の支援対象になりますか。
A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)

という議論を呼ぶ回答がなされています。現行の制度は維持されますし、すべての学部生がこの制度の対象になる訳ではないく、財源としては消費税増税分が使われるとのことですが [2]、それでも院生にとって不安が無いわけではないです。来年度の新制度施行までに消費税の増税がなされる保証はないですし、でも制度は施行された場合、不足した財源を大学の収入の範囲で賄うためにもっとも帳尻を合わせやすいのは、大学院生の授業料減免です。さらに大学院生の中でも一定の収入のある学振研究員採用者が優先的に授業料減免の対象外となる、というのは悲観的でありつつ有りうるシナリオだと思います。

もし授業料減免が許可されなかった場合、財政は以下のようになります。

文京区の東大生 名古屋市の名大生 豊中市の阪大生
... ... ... ...
授業料 ¥535,800 ¥535,800 ¥535,800
残高(月額) ¥115,107 ¥114,711 ¥113,852
家賃(月額) ¥93,700 ¥52,500 ¥51,400
家賃差引後残高(月額) ¥21,407 ¥62,211 ¥62,452

以上の表の中で、家賃差引後残高(月額)の中から

  • 光熱費・水道代
  • 通信料(インターネット・携帯電話)
  • 食費
  • その他雑費

などを支払うことになります。

給与

2,400,000円/年とする。(とする、も何もないですが。)

国民年金保険料

1年前納(192,790円/1年分)、2年前納(379,640円/2年分)という方法もありますが、恐らく前年まで収入のない博士課程学生には借金でもしない限り現実的に厳しいと思うので、まぁこれなら何とか?と思われる6か月前納(97,340円/0.5年分)の利用を前提としました [3]。

国民健康保険

金額の算出には「国民健康保険の自動計算サイト」[4] を利用しました。1年目は前年給与が0円、2年目以降は240万円とします。厳密ではないですが、大差は出ないのでこれで良しとします。また、年ごとの保険料の違いは所得税、住民税に影響しますが、面倒なので3年間の平均値のみ使います。

文京区 名古屋市 豊中市
1年目 15,600円/年 16,660円/年 19,923円/年
2~3年目 163,233円/年 175,100円/年 187,158円/年
平均 114,042円/年 122,287円/年 131,413円/年

所得税

以下、計算に使った数値は [5] から引用しました。所得税の計算は

税額 = (給与所得 - 控除額) × 税率

です。適用される控除は

いずれの場合も240万円から控除額を差し引いた課税所得金額は195万円以下なので、税率は5%になります。

住民税

住民税の計算は複雑なので、本当に合ってるか自信はありません。。。基本的な計算は、以下の流れになるようです。基本的な出典として東京都文京区のものを上げますが、他の2自治体でも同様の計算になります。

(1) 所得割額の計算

まず課税標準額を求めます。これには

課税標準額 = 給与収入×0.7 - 180,000円

という式を使います([6]の「所得の種類」→「総合課税されるもの」→「総合課税」の「給与所得速算表」にある)。給与収入は4,000円を単位として切り捨てますが(例2,405,000円→2,400,400円)、今考えている給与収入は常に4,000の倍数なので関係ないですね。結果、課税標準額は1,500,000円となります。

住民税の場合には、基礎控除33万円(所得税とは異なる。[6]の「所得控除の種類」→「人的控除」の表にある)と社会保険料控除(これは所得税と同じ)が適用されます。

税額は

税額 = (課税標準額 - 控除額) × 税率

で決まります。税率は以下の通り。

文京区 [6] 名古屋市 [7] 豊中市 [8]
区・市民税 6% 7.7% 6%
都・県・府民 4% 2% 4%
合計 10% 9.7% 10%

(2) 均等割額

住民税のある部分は、所得によらず一定に設定されています。均等割額の部分は以下の通り。

文京区 [6] 名古屋市 [7] 豊中市 [8]
区・市民税 3,500円 3,300円 3,500円
都・県・府民 1,500円 2,000円 1,800円
合計 5,000円 5,300円 5,300円

(3) 調整控除額

最後に調整控除額ですが、名古屋市の場合しかわからなかったので、文京区と豊中市の場合は名古屋市と同様の計算方法と仮定しています。いずれにしても精々2,000円程度の話なので、結果に大きな影響はないです。

名古屋市の場合は、基礎控除が50,000円、それに市民税調整控除率4%と県民税調整控除率1%がかかるので、結果2,500円になります [6]。

最終的な税額は

税額 = (1) + (2) - (3)

で決まります。

授業料

今回考えている3大学のいずれも、大学院生の年間授業料を535,800円としています [9, 10, 11]。前述のとおり、授業料は半額免除 or 免除不許可になることを想定しました。

家賃

家賃の相場は、LIFULL HOME'Sのウェブサイト [12] を使って調べました。間取りは1Kとしています。

文京区 名古屋市昭和区 豊中市
相場(月額) 93,700円 52,500円 51,400円

これについては、必ずしも学生向けアパートではない物件(大学から遠い物件など)も含んでしまっていたり、そもそもの情報の信頼性がよくわからないので、誤差が大きいと思われます。

考察

算出された数値を見た私の感想は、以下の2つです。

家賃の負担に大きな差があり、不公平。

前節の東京都文京区の家賃相場は少し高すぎる気がしますが、それでも都区内のアパートだと安い物件を選んでも他の都市の相場+2万円はするのではないかと思います。手元に残るお金が精々10万円ちょっとの中での2万円の差はかなり大きいですし、例えば東京都区内(あるいはそれと同等の家賃相場の地域)に住まなければならない人に対しては、上限2万円程度の家賃補助を出してもいいような気はします。補助対象者は全員ではないですし(直観で全体の20%ぐらい?)、現行の特別研究員奨励費予算から削り出しても全く問題ないレベルで、割と現実的だと思います(実際に運用するにあたっては、じゃあどこの誰まで補助するのかという話は絶対に出てくるので、本当に現実的かどうかは知りませんが。。。)。

「23区内に住むのは贅沢だから郊外から通えばいい」という意見もあるかもしれませんが、毎日片道30分余分にかけて郊外から満員電車で通学するとすると、学振研究員の給料が時給換算で約1,300円とすれば、月当たり1,300円×20日 = 26,000円の損失になります。結局、家賃補助を出した方が損失も抑えられるし手っ取り早いと言えます。

授業料の負担が大きすぎる

学振研究員採用者にとって国民年金・健康保険料の負担が大きいとはよく言われますが、授業料の負担が半免でもそれと同等、一切減免されなかった場合にはその2倍になっています。大学院生、特に博士課程の院生は授業を受けるどころか、むしろ最先端の研究成果を生み出し、論文を出版し、大学に利益をもたらす側であるにもかかわらず。各国出身の研究仲間や学生にこの話をして It doesn't make sense! と言われるのは、もはや自分の中で鉄板ネタになりつつあります。アメリカの名門私立大学の学生からとてつもない授業料の金額を聞いたことはありますが、少なくとも国立大学でここまで大きな授業料を支払わせている国は僕は知りません。

各先進国や新興国と比べたら科学技術を重視していないなど文化的な違いはあると思いますが、さすがにこの額の「授業料」を学生の自腹で支払わせているのは"異常な状態"と言っていいのではないでしょうか。大学の財源も限られている中で「来年から院生の授業料はゼロにします」なんてやった日には大学が倒れてしまうということは理解していますが、それでももう少し何とかなればなぁと思います。

最後に

以上、学振DC1に採択された博士学生の3年間のお財布事情をまとめてみました。ただ大事なのは、これはごく一部の優秀な(あるいは、ラッキーな?)人たちの話です。文部科学省の資料 [13] によれば、年間180万円以上の経済的支援を得られている博士課程学生は全体の10%に過ぎません。これには学振研究員制度以外の奨学金等によって経済的援助を得ている学生も含まれている数字です。つまり10人に9人はほぼ無給で

  1. 両親に頼る
  2. バイトする
  3. 借金をする
  4. 心頭滅却して空腹に耐える

のいずれかの方法をとるしかないのが現状です。2~4番目の選択肢はリスクが大きかったり研究時間を割かれたして損失も大きいので、これらの中では結局「両親頼み」がもっとも現実的な選択肢になるかと思います。しかしこの選択をできる人とできない人がいて、できない人はいくらその人が将来的に素晴らしい価値を生む可能性をもっていても研究を継続できなくなってしまいます。これは学術の発展のいう観点からも不利益のはずです。

さて、こうやって日本の諸問題を考えていると、海外の博士学生の財政事情が気になってきます。次はそれを探ってみようと思います(もしできれば・・・)。


[1] 文部科学省 高等教育段階の教育費負担新制度に係る質問と回答(Q&A) www.mext.go.jp
[2] 文部科学省 高等教育の修学支援新制度 www.mext.go.jp
[3] 日本年金機構ウェブサイト 国民年金前納割引制度(口座振替 前納)|日本年金機構
[4] 国民健康保険の自動計算サイト 国民健康保険料と任意継続保険料を計算シミュレーション!退職時の保険を比較しよう!
[5] 国税庁 所得税の仕組み https://www.nta.go.jp/publication/pamph/koho/kurashi/html/01_1.htm
[6] 文京区 住民税の計算 https://www.city.bunkyo.lg.jp/tetsuzuki/zeimu/juminzei/juminzei3.html
[7] 名古屋市 市民税・県民税の計算例 www.city.nagoya.jp
[8] 豊中市 税額の計算方法 https://www.city.toyonaka.osaka.jp/kurashi/sizei/kojin/keisan.html
[9] 東京大学 授業料、入学料、検定料の額 https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/admissions/tuition-fees/e03.html
[10] 名古屋大学 授業料について www.nagoya-u.ac.jp
[11] 大阪大学 授業料・入学料 https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/student/tuition/tuition_info
[12] LIFULL HOME'S https://www.homes.co.jp/chintai/
[13] 文部科学省 中央教育審議会大学分科会 大学院部会(第81回)資料5 http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2017/07/24/1386653_05.pdf(該当ページはp. 14)